運が悪い

というのは甘えだと思う。

つい今しがた、今年の4月に仲良くなって、少しづつ「恋仲になりたい」という期待を寄せていた女性に彼氏がいることが発覚した。彼女をデートに誘ったら「彼氏がいる」と返信が来たのだ。4月から思いを寄せていただけに、ある分空回りしていたことへの自虐心や無念に思う気持ちがないわけではないが、どうしてかそこまでの未練は感じていない。それよりも、おそらくこちらの気持ちに気づいていたであろう彼女が、嫌がる様子を悟らせることなく、私の未熟な恋心を引き返せなくなる一歩手前まで受け止めてくれていたことに、彼女の思いやりが感じられてありがたかった。

今の私の心情に「見栄を張るな本当は未練たらたらのくせに」だとか、「それはお前にNOサインを感じ取る力がなかったんだ」とか、いろいろな難癖をつける者がいるかもしれない。確かに、考えうるすべてのそういった男としての私に対する批評は、ことごとく的を得ていて真実なのだと思う。だた、それでも私が今感じている彼女への気持ちは感謝であって、決して未練がましい無様な恋心などではない、決して。

 

今回の気持ちの整理の付き方は、人生においてなかなかに潔い部類で、私自身としても非常に驚いた。気持ちが変わらないうちに記録としてまとめてみようと思い筆を執っている。

 

今回の私の敗因は、いうまでもなく「相手に恋人がいるかどうか尋ねなかった」ことだと思う。本当に恋愛が下手なんだなと、もはや自分で自分を憐れみながら嘲笑さえしてしまう。

今までに恋愛をしたことがないわけでは全くない。むしろ異性から見向きもされないにも拘らず、中学高校と恋愛を続けてしまった結果、決して小さくないトラウマをいくつか抱えて生きてきた。大学生になると嬉しいことに、数人だが異性と二人でデートへ行く機会に恵まれた。私から誘ったのではなく、向こうからお誘いであり、恋人になれる機会はそこらに点在していたはずだった。しかし結果は、今こうして天井に降りつける秋雨の音を聞きながら、惰性に任せてこの日記を書いている私がいる現実があるだけだ。

思うに、私は積極性に欠けているのだろう。良いなと思ったら積極的に行動し、熱いうちに鉄を叩けば上手くいくに違いない。運が悪いというのは思考を放棄した甘えだと思う。必要があれば、原因を見つけて改善していくのが成功への道だと信じている。

終わりに、今回の失敗は、火星に飛ばすつもりが、火星だと思っていたものが実は木星だったような空振り具合だったが、元々恋人がいないとわかっている相手に勝負を挑めば勝率は格段に上がるだろう。そう、私の人生にもついにマッチングアプリの出番がやってきたのかもしれない。頼ったら負けを認めるようでかなり癪だが、もうそんなことすら甘えに感じてしまうほどに、私に救いがないのは明白だ。明日は一日中雨の予報だし、どのマッチングアプリが自分に合っているか吟味するのもいいかもしれない。もっと楽しいことを綴りたいと思うのだが、私の恋愛に進展があれば、またここに帰ってくるかもしれない。

 

元の勝率の低さはどうしようもないが、頑張ってみよう。今回はここに筆を置くこととする。